2004年 06月 03日
文章を書き、絵を描き、写真を撮り、催しを企画し、 人と話し、人と遊び、人と笑い、ザツネと居る。 私の中に創り出されたザツネという人格は、私にいつも影響し、楽しませようとしてくれ、私を動かしてくれる。 動かなかった自分に、何もできなかった自分にいつからか居たザツネは、私の中から居なくなることはない。 それは「いなくならないよね?」という不安の答えでは決してなく、笑えている、楽しめている、動いているのは私なのだという事を、私自身がザツネなのだという事を、胸を張って大声で力強くこれでもかという程、自信を持って云えるからなのです。 いっしょに楽しんでいるんですよ、顔を向き合わせて。 いっしょに悲しんだり、励ましあったり。 不思議な話ですかね? どうでしょうね。 そう、私はザツネであります。 宜しくどうぞ。 2004年 06月 03日
文章が糧になること、なってません。 生活ができなければ糧ではなく、趣味の領域は抜けれないと言えますか。 しかし書く事が趣味ではないのですよ、僕は。 ただ得意とは思うのです。 ですから糧として活かしたいとは思っています。 心身的な糧であればなっていますよ。 ならば趣味と言えますか? 思いや想いを見る側の意識も交え、魅せるモノとして仕上げていく。 工程は楽しく、出来上がったモノに自ら賞賛。 「俺ってすげー」 書く内容に知的なものは表現できない、おおよそ書く事が得意だなんて言ってはいけなかったり、 しませんかね? どうでしょう。 そう、私はザツネであります。 宜しくどうぞ。 2004年 06月 03日
ザツネと呼ばれれば、あいよと応える。 家に居ようがトイレに居ようが散歩先でも仕事中でも、 そこが海の中道だろうと箱崎埠頭であろうとも、 山ならそうだね、油山和歌杉山若宮小学校の裏山でもだ。 いつからですか、ザツネと呼ばれ始めたのは。 いつからでしょうね、ザツネと呼んでくれと言い始めたのは。 祖父が亡くなった際、櫃の前で手を合わせてお話しました。 「俺、ザツネの名前、残すから」と。 『ザツネであるということ』 本名である訳ではないのですよ。 名字、名前にザツネの文字はございません。 「ザツネであるということ」 どちらかといえば苗字なんです。 じいちゃんと同じ苗字なんです。 苗字と個性の組み合わせなんですよ、ザツネは。 訊けば納得しちゃいますよ? どうでしょうね。 そう、私はザツネであります。 宜しくどうぞ。 < 前のページ次のページ >
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